裏窓 特別編:超大吉旅日記その2「南大東島にやってきました。」


南大東へのプロペラ機


サトウキビの道(このころはまだサトウキビの刈り入れが始まっていないので、まだ農道はサトウキビで見晴らしが悪かったです。)。

トラックの荷台で海を見に行く(メンバーとは昼間から泡盛を飲んですぐに意気投合。トラックの荷台に人が乗るのは違法行為です!でも島ルールで勘弁してください。)

海を見る(荒れ狂う海を見ています。島の生活に期待と不安が入り混じる・・・。)

大東犬(南大東島特有の、足の短い犬です。ちゃんとした種別はされていないようですが。僕はコーギーよりミニ柴よりこっちのほうが好きです。こいつは寮の近くにいるやつで、とても人懐っこかった。大東犬のファンは、わざわざこの犬を見るためにこの島を訪れるとか。最近島で生まれる犬も、足がだんだん長くなってきているらしい。残念。)


寮の廊下(昼下がりの寮の廊下。夜勤の人のいびきと寝言が響きます。)

寮の窓から(風通しがよく最高でした。)


超大吉旅日記 その3 『南大東島にやってきました』  by のりお(別名:超大吉)

那覇空港。集合場所のロビーには、今回一緒に仕事をするメンバーらしき人たちも来ていました。
熊のように髭を生やした熊のような体格をした男や、ぎょろ目でメガネをかけて丸坊主でガリガリに痩せたチベット仏教のお坊さんのような男や、動物園の神経症のライオンのようにうろうろ行ったり来たりの動きを繰り返す角刈り親父や。
何やらおっかない人たちが多かったですが、南大東島に働きに来るくらいだから変わった人が多いんだろうと無理やり納得。落ち着いたと思ったら、乾燥肌の僕が常に持ち歩いているオリーブオイルが荷物チェックに引っ掛かり、いきなり足止めを食らってしまいがっくり。
テレビCMでお馴染みのオリーブオイルなんですが、可燃物ということでしょうか。
こんな日本の端っこまでテロの警戒が広まってるとは。

那覇からは約一時間のフライト。39人乗りのプロペラ機で大東島を目指します。隣に座った丸坊主の精悍な顔つきの青年は「サトシってんだ、ま、よろしくね。生まれは長野でサ。サトウキビの仕事は初めてなわけサ。おたくはどこからなわけ?」と青春ドラマみたいな口調で自己紹介しました。
彼は夏は北海道、冬は沖縄でバイトして、桜前線とともに北へ北へ、紅葉前線とともに南へ南へ移動する種族らしく、今回この仕事で結婚資金を貯め終わり、ついにさすらいに終止符を打ってパートナーと安住の地を探すとか。嬉しそうに、健康そうな白い歯を見せて話していました。
でも飛行機が滑走路を走り始めるあたり彼の表情がにわかに曇り、「ただでさえ飛行機嫌いなのに、プロペラ機かよぉ。」とぼやきました。相当苦手な様子です。すると向かいの席の知らないおっさんが「大丈夫やっさー。プロペラ機はジェット機よりも落ちにくいわけさ。昔、飛んでる時エンジン火を噴いたけど、そのまま飛べたさー。」「・・・。」

ここの飛行機はその昔は19人乗りのセスナに近い代物だったらしく、乗客は乗る前に体重計に乗って、飛行機の左右のバランスがよくなるように各座席に“配分”されたらしいですね。
19人が決まって毎回乗れる訳では無く、あと何人乗れるかは搭乗手続きのカウンターの中でそろばんを弾くおっさんにかかっていたとか。
僕はと言うと初めて飛行機に乗って中国へ行ったときから飛行機大好き。常に気持ちよく熟睡です。一時間余りして目覚めると、小さな窓から斜めになった水平線と斜めになった南大東島が見えます。今まさに飛行機は島の上空を少し旋回気味に、大東島の地面に降り立とうとしていました。

トラックに荷物を放り込んで、精糖工場の宿舎へ出発。12月というのに、少し動くと汗ばむような陽気です。 空港を出ると、一面のサトウキビ畑が広がっています。
周囲21キロの島ですが、まるで北海道かどこかの大陸にいるような錯覚を感じます。それはこの島の平坦さと、周囲の方が標高の高いピザのような形をしているためなのです。
少し高くて林になっているところは幕(ハグ)と呼ばれていて、防風林の役目もしています。この島は、約4800年前に現在のニューギニア島の近くで火山島として誕生しました。
そこからプレートに乗って現在の沖縄本島から東へ340キロの場所まで移動してきたのです。
その長い旅の間に島は海底に没し、代わりにその上に珊瑚礁が積み重ねられました。
高さなんと海底より2000メートル。つまり南大東島は、2000メートルの深海に突然そびえ立った珊瑚の柱のようなものなのです。珊瑚は珊瑚虫という生き物の集合体だから、大東島は島というより巨大な生き物と言った方がいいかもしれません。巨大な珊瑚の柱が今も一年間約7センチメートルのスピードで、じわりじわりと日本の本州に近づいているらしいです。
車は島の中心、在所の集落へ。やたらと目立つ高い煙突が一本。
今回お世話になる製糖工場の煙突です。

ずっと前から僕の憧れの地だった大東諸島。本やテレビ、インターネット、それらの情報だけでは僕は満足できず、一昨年の九月始め、僕は南大東島へやってきました。台風のシーズンでもあり、また交通の不便から上陸するまでにいくつかの苦労がありましたが、この島は想像をはるかに超える『僕好みの島』でした。
成り立ちも、歴史も、自然も、文化も、そこに暮らす人々も素晴らしかった。帰る頃には、次に来る時には何ヶ月かの間住んでみたいと考えるようにまでなっていました。それにはここで何か仕事をしなけりゃ。そこで、今回のサトウキビの季節工に行き当たったというわけなんです。だから仕事を辞めて、東京から出てきちゃいました、というわけなんです。

寮へ着くと、各々荷物を降ろして指示された部屋に向かい、とりあえず一息つきました。部屋は六畳の広さで木造の古い造り。二人の相部屋だと聞かされていたのですが、各部屋一人ずつの生活で少々汚いけど僕にとっては全く許容範囲の部屋でした。
堅く閉まった雨戸を開けると気持ちいい日差しが入ってきて、庭にはパパイヤの木があって、猫がのんびりと歩いています。大きく伸びをして用意されていた毛布の上に大の字になると、そのまま眠ってしまいたい気分になりました。
柱に「酒生夢死」と筆で殴り書きをしてあります。前の住人が書いたのでしょうか。小学生の男の子たちが庭で虫か何かを捕まえています。
一年間、この島での生活を思い描いていました。そうして、ついに東京を飛び出して来てしまいました。希望とか不安とか、そんなものはこの一年間という準備期間の間に考え尽くして、今はこの島に来たという事実しかなく、だから特に何の感慨も無く、まるでもう一年も前からこの島で生活しているような気分でさえあるのでした。
とっても変な感じでしたが、不思議と心地よい感じでもありました。(norio wrote 2004 May)

つづく。

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